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オーロラ鑑賞報告 (Aurora Photos)/ 2011年3月上期へ/ 2011年4月上期へ
オーロラ鑑賞報告 2011年3月下旬 Aurora Photos Mar,2011 P2
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http://archive.mag2.com/0001221990/index.html
4月1日 雲を抜けて
昨夜(31日)の天候:晴れ→曇り 気温:+2℃
昼間はまあまあの天気。
しかし夜になって雲が多くなる。望み薄。。。
1時過ぎ、たまに星が見える。雲が薄くなっているのが分かる。
その後、その雲の上に光があるのが分かる。
写真を撮ると、ぼやっとした光が雲の上に。
ほぼ新月なので、間違いないオーロラの光。
その後は雲が厚くなったらしく、光が見えなくなった。
オーロラは出ていたのですが、昨夜は雲に阻まれました。
さすがにこの状態では「見えた」とは判定しません。
でも、せっかく出ていたのにもったいないです。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル30キロ
時間:1日1:15
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月31日 赤のカーテン
昨夜(30日)の天候:晴れ→曇り 気温:+2℃→-8℃
今日オーロラの出現が久しぶりに早い。
22:30 北の空に薄いオーロラのカーテンが現れる。
0:00 やっと光が強くなる。頭上で緑色のアーチが架かる。
その後、カーテンは少しずつ形を変えていく。
2:40 再度カーテンがはっきりする。
3:20 南の空で広がっていたカーテンが、再度ゆらゆらと揺れだす。
肉眼で見た場合、この夜のオーロラは少し薄く見えたはずです。
しかし、これは人の目には見づらい光のオーロラだったためで、
実際には、赤いオーロラが現れていました。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル30キロ
時間:31日0:00
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
http://www.canadaauroranetwork.com/index.php?aur-soku201103b
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月29日 赤の発色
昨夜(28日)の天候:晴れ→ 気温:+2℃→-4℃
気温が高いまま夜を迎える。
0時を過ぎて、オーロラが現れる。
光はそれほど強くないでも、真っ暗な空の色がいつもと違う。
試しで写真を撮ると、緑色の帯に被るように赤の帯が映っている。
その後、オーロラの光は強くなり、大きなうねりを見せてくれた。
「赤いオーロラを見たい」という人は多いと思いますが、
この「いつもと違う空の黒さ」を気が付けるかどうかがポイントです。
私も最初の2シーズンはこれが分からず、何度か見逃しました。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル20キロ
時間:30日1:30
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月27日 昇りくるカーテン
昨夜(26日)の天候:晴れ 気温:+2℃→-11℃
ちょっとだけ気温が下がる。今日も天気が良い
そこそこオーロラは見られたものの、ググッと出てきたのは、今日は2時ごろ。
大きく揺らめくカーテンが、丘の向こうからせり昇ってきました。
その後も3:30ぐらいまで、よく見られました。
いつもの年なら今週末ははカリブーカーニバルだったのですが、
今年は開催されず、犬ぞりのレースのみに。。。
イエローナイフにおける、リーマンショックの影響のひとつです。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル20キロ
時間:27日2:00
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月25日 赤の発色
昨夜(24日)の天候:うすくもり 気温-3℃
今日も気温の高い夜。
ちょっと雲はあるものの、ほとんど晴れ。
0:10 オーロラが現れる。でも、ぼんやり。
1:30 はっきりしてきて、動きも活発になる。
このあと、2時過ぎまで見ることが出来ました。
写真で見ると、赤い発色があることが分かります。
一応、黒点の活動も活発ですから、また規模の大きなものが現れるかもしれません。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル30キロ
時間:25日1:40
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月24日 紫のカーテン
昨夜(23日)の天候:晴れ 気温:+2℃→-4℃
気温も高く、天候も良く、素晴らしい鑑賞条件となる。
うすーくは出ていたものの、はっきりし始めたのは0時を過ぎてから。
大きな動きを見られるようになったのは2時前から。
そして2時半過ぎ、紫のカーテンが西から近づき、頭上から降り注いだ。
イエローナイフの真上にオーロラがあることが多いので、
オーロラ爆発がたくさん見られる代わりに、ここでは裾の長いカーテンを見る頻度はそれほど多くありません。
頭上からと言っても、長いカーテンが見られる場合は少し南にオーロラがあることが多いです。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル20キロ
時間:24日2:30
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月23日 氷点・ブレイクアップ
昨夜(22日)の天候:快晴 気温:0℃→-11℃
やっと気温が平年並みに。暖かい夜の中での鑑賞となる。
オーロラは23時前から出現。大きなアーチが架かる。
0:50 オーロラ爆発。カーテンは大きく渦を巻き、ピンク色に裾が何度も染まる。
本日の最高気温は0℃。一気に気温が上がり、
さすが防寒服で街を歩くと汗が出る日になりました。
イエローナイフにもやっと、春が到来です。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:デタ村行きアイスロード
時間:24日0:50
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
http://www.canadaauroranetwork.com/index.php?aur-soku201103a
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月21日 満月のブレイクアップ & リアル海猿
今回は2日分のオーロラをアップします。
一昨日(19日)の天候:快晴 気温:-22℃→-28℃
最初は19日夜のオーロラを。
明るい空に浮かぶ、緑色のアーチ。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル15キロ
時間:20日0:00
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
昨夜(20日)の天候:快晴 気温:-16℃→-22℃
気温が比較的高かったものの、天候は崩れず。
とても長い間、オーロラを見ることが出来る夜となった。
本格的に強くなったのは、1:50ごろから。
頭上で揺れていたカーテンが強くなり、2:30ブレイクアップ。
大きな月と一緒にオーロラを眺める夜となった。
気温は結構低いものの、高めの気温でも気温が崩れにくくなりました。
日照時間が今日より逆転するので、昼間はかなり暖かくなっていきます。
ただし風は強いので、滞在する方はコートなどは必携です。
写真:ナヌック オーロラツアーズ
場所:イングラハムトレイル30キロ
時間:21日2:30
資料提供元:http://www.aurora-guide.com
福島原発に海水注入をした、東京消防庁の会見が見られるようになりました。
そこそこ長さがあるので、1本だけ見るならその3が良いです。
○東京消防庁記者会見 Mar20, 2011 その1
○東京消防庁記者会見 Mar20, 2011 その2
○東京消防庁記者会見 Mar20, 2011 その3
無駄がなく、「分かりやすく正確に伝えよう」という誠実さが伝わる会見です。
「『日本の救世主に』と妻からメール返信」という記事になっていることが多いのですが、
TVの放映ではこのあとのやり取りがほとんど紹介されていません。
ネットで中継されていたこのあとの記者会見を抜粋します。
○消火に当たった消防隊総括隊長のコメント(ustreamより)
なにより、隊員のことが・・・申し訳なく・・・(涙ぐみ、しばしのあいだ沈黙)
若いやつらが、自分にいかせてください、自分に行かせてくださいと・・・
(若い隊員たちに)怒りました・・・おまえたちは、若いのだから、
健康な子供を作って、日本の復興のために生きろ、と・・・(しばし沈黙)
それでも、食い下がって・・・
私たち消防は、命を救うことしか、できませんので・・・
バカだけど・・・最高の・・・部下たちです・・・(号泣)
イエローナイフでも2004-2005シーズンの冬に火事があり、
新人消防士と隊長が殉職しました。
昨年夏、消防署の緑地にに慰霊碑が完成しています。
命懸けで臨まなければならない職場ですから、厳しい訓練だけではなく、
本当にお互いを信頼しているからこそ、任務を遂行できるのだと思います。
「仲間を絶対に見捨てない」というセリフがあるドラマ、
『海猿』の世界を見ているようでした。
見えない敵と巨大な建造物を前にしての活動、本当に頭が下がります。
オーロラ情報局:http://www.canadaauroranetwork.com/
3月20日 Pray for Japan in イエローナイフ & 台湾
本日(20日)の天候:晴れ 気温:-28℃→-18℃
ジャパン津波ヘルプの募金イベントが、すしノースにて行われました。
http://www.yk-tsunami-aid.org/
日本では街頭募金などが一般的ですが、こちらでは募金イベントが主流。
四川の大地震の時は、お肉屋さん(おそらくオーナーが中国出身)がスポンサーになって、
「バーベキューパーティ募金」を行っていました。
お店が飲み物とお肉を提供して、料金は5ドル。
この5ドルが募金になります。
私達は休業日のすしノースを会場にして、
「ポットラック募金」と「サイレントオークション」を開催。
「ポットラック募金」は
ボランティア持ち寄りの料理(おにぎりと団子のお菓子がメイン)を食べて貰ったり、
ギターの生演奏や、折り紙の実演を見てもらって募金。
「サイレントオークション」は
ボランティアから提供された品物を、ゲストが気に入った金額を紙に記入して
競り落としていくオークション(オークション品を撮るのを忘れていました)。
本日のイベントでの募金総額がは、約C$8400!!!
赤十字社を通じて被災区域に支援されます。
ボランティアのみなさま、お疲れ様でした。
ゲストのみなさま、ご協力ありがとうございました。
もう一件、あんまり日本で報道されていないので…
3月18日に、台湾で大規模なチャリティー番組が行われました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110319-00000020-mai-int
この番組で集まった義援金は、なんと21億円。
以下は記事からの転載です。
<東日本大震災>台湾のチャリティー番組で義援金21億円
毎日新聞 3月19日(土)10時24分配信
【台北・大谷麻由美】台湾の赤十字会やテレビ各局などの主催で18日夜に行われた東日本大震災の被災者を支援するチャリティー番組で、生放送中に7億8800万台湾ドル(約21億5000万円)の義援金が寄せられた。馬英九総統も20万台湾ドル(約55万円)を贈り、電話での義援金受け付けを手伝った。番組には、サッカーの元日本代表の中田英寿さんが駆けつけたほか、台湾人タレントのビビアン・スーさん、里帰りして番組に出演したジュディ・オングさんらも出演して盛り上げた。
ピンと来ないと思いますが、この義援金額は、「24時間テレビ」の毎年の募金額の倍以上です。
しかも、台湾の人口は約2000万人。
人口や経済水準を考慮すると、日本で100億円以上になる義援金を集めてきてくれています。
本当に心配して、支援してくれているんですね。
地震おじいさんの言うとおり、必ず再建しなくてはです。
http://www.youtube.com/watch?v=2zeroCZSrjo
オーロラ情報局 http://www.canadaauroranetwork.com/
3月17日 今シーズンの速報について & ありがとうトルコ
こんにちは。オーロラ情報局・しまです。
地震と原発問題の注目度はこちらでも大きく、情報収集が欠かせない毎日になっています。
速報にも影響が大きく、毎日速報を配信するのが困難になりました。
シーズン途中でとても残念なのですが、オーロラ速報・観測報告は3月17日よりオフシーズンの不定期更新となります。
まだ3月ですから、オーロラはこの先ひと月以上見られます。
写真の更新できるときはいたしますので、これからも楽しみにしていてください。
そして、義援金活動もイエローナイフで始まりましたので、微力ながらもそちらのお手伝いをしていく予定です。
オーロラ速報・観測報告でも、こちらから発信できることを、発信していく予定です。
オーロラ情報局・しま
その震災関連ですが、
日本の報道ではほとんど取り扱われていなかった件をひとつ。
被災後に救助支援をしてくれた国がいくつもありましたが、真っ先に駆けつけてくれた国のひとつにトルコがありました。ほぼ一番乗りしてくれています。なぜか報道落ちしているのですが。。。
外交官曰く
「イズミット地震(1999年)の時、日本はすぐに助けに来てくれて、どの国よりも長時間救助に当たってくれた。今度は私たちの番だ」
(日本の救助隊は当日夕方に出発。ハイテク機器を使う救助方法のおかげて、一週間以上ぶっ通しでの活動が可能だった。そのため救助犬探査が主流だった欧米救助隊の度肝を抜きました(救助犬は休息が必要))
親日国として知られるトルコですが、これは単なる憧れで親日国になった訳ではなく、エルトゥールル号遭難事件(1890年)以来の、相互救助の歴史から生まれたものです。
トルコの小学校では必修事項だそうですから、トルコ人はこの時の援助を今でも感謝してくれています(イランイラク戦争の時には、撃墜覚悟で邦人救出までしてくれました)。
今回の災害でも、日本を信頼してくれています。
世界中で新規の原発建設が不可能と言われている中、トルコは「原発建設を推進する」そうです。
しかも、発注先は東芝(製造元)と東京電力(運転技術)。
ロイター通信:トルコは原発建設計画を推進、日本の地震は影響せず=エネルギー相
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20021220110315
[イスタンブール 14日 ロイター] トルコのユルドゥズ・エネルギー相は、2カ所の原子力発電所の建設計画について予定通り進める方針を示した。
1カ所では日本との技術協力で進める予定で、東京電力および東芝と協議を進めている。
エネルギー相はテレビ番組で「日本の今回の地震はトルコの計画に影響しない。今回の事態からの教訓を踏まえ、協議を継続する」と述べた。
トルコには断層帯が通っており、地震も活発。1999年の2回の地震では死者数が2万人を超えた。
(今後の事故の経過によって、計画は変わるかも知れませんが)この時期に、これだけのことを言ってくれる国は皆無です。国内向けではなく、外国に向けて、日本を庇うための発言ですから。
地震国だけに、地震国の技術を信頼してくれているようです。
「今回の事態からの教訓を踏まえ、協議を継続する」と、
新型炉を更に改良した原発を建設する予定のようです(福島第一旧式炉で、運転40年の最老朽機。去年廃炉の予定でした)。